一方審査会場は大変なことになっていました。
その信じられない光景に唖然としていた中・・
また他の審査員は点数メモを回収されることを拒否しようとしましたが、
スパリエ氏がそれらを防ぎました。
点数の詳細が発表されるとNO.1に選ばれたものがカリフォルニアワインだけだったことではなく・・
赤は・・(カリフォルニア ● ボルド- ■)
●1位 スタッグス・リ-プ 1973
■2位 シャトー・ムートン・ロートシルト 1970
■3位 シャトー・オー・ブリオン 1970
■4位シャトー・モンローズ 1970
●5位 リッジ・モンテベッロ 1971
と、上位5銘柄中2銘柄。
そして白は・・(カリフォルニア ○ ボルド- □)
○1位 シャトー・モンテリーナ 1973
□2位 ムルソー・シャルム・ルーロ 1973
○3位 シャローン 1973
○4位 スプリング・マウンテン 1973
□-5位 ボーヌ・クロ・デ・ムーシュ・ジョセフ・ドゥルーアン 1973
と、上位5銘柄中3銘柄がカリフォルニアワインだという事実が明らかになりました。
この快挙にアメリカではワイン誌ばかりか一般情報誌までがこの事件を取り上げ、
また翌日、スタッグスとモンテリーナの電話は鳴りっぱなしで、
週末になるとこの2ワイナリーに通じる道は、ワインを買い求める車が長蛇の列をなしたそうです。
残念なことに、主催者のスパリエ氏はそれまで彼を認めていた人々からもスパイだと糾弾され
国賊扱いされてしまいました。
しかし彼のこの画期的な行いは、その後世界のワインの偏見を取り払う大きな役割を果たし、
現在ワインファンが等しく世界中のワインを楽しむことができる今の現状を作り上げた、
偉大な功績のひとつだと思います。
_____1976年の『パリ事件(パリ・テイスティング)』
ジェームズ・コナウェイ著「カリフォルニアワイン物語」より抜粋
なお、1986年、2006年のリタ-ンマッチ(パリテイスティングその後)については
2回に分けて紹介しましょう。
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