ルカの福音書によれば・・
クリスマスの出来事/救い主イエスの誕生が、我が家の暖かさに包まれてではなく、
寄るべなき旅先で起こった…と伝える。。
ローマ皇帝アウグストゥスの人口調査により、その登録のために故郷の村に里帰りしてきた多くの人たちによって宿屋の『客間』から締め出され…
馬小屋の飼い葉桶の中で生じるほかなかったのだと云うのである。
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私たちは救いを求め、救世主を求める…
しかし、私達の『客間』はすでに過去の経験や常識やそれに基づいた数々の思惑や計画・期待などが一杯詰まり、それらに占拠され、それらをめぐる思い・煩いに引き回されて、とても新たな客を迎え入れる<余地>などは残されていない…
救い主を求めていると、そう思いつつ…
実はすでに私たちのもとに到来し、戸の外に立って叩きつつある客を、自ら締め出しているのではないのだろうか。
ルカは同時に・・
そのように『客間』はいかなる<余地>も残されてはおらず、そこから締め出されるほかは無かったにもかかわらず、救い主は生まれたもうたのだ…と語る。。
私たちは拭いがたい、逃れようのない過去を背負っている。。
その過去が私たちからあらゆる可能性を奪い去り、もはやいかなる<余地>も残されていないとしか見えない場にも…
そこには新しい<余地>が拓かれているのだ…
それが飼い葉桶でのイエスの誕生が指し示すもう一つのこと…
ルカの物語が教えるのは、確かにそう云うことであろう。。
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今日の聖なる夜は・・
ひと欠片(かけら)のパンと一杯のワインで静かに過ごしたい。。
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